一度目の離婚理由。
今日も一人で酒を飲む…
繁華街で飲み歩いてる時はひっきりなしに携帯が鳴ってたのに、飲みあるかなくなって3年…
誰からも連絡は無し。
私の生い立ちは、精神病院で40年近く過ごした祖母と、同じく精神病に苦しみ、挙げ句の果てには肺がんになった母…その再婚相手である虐待親父、双極性障害に苦しむ姉と虐待親父と母の間に出来た年の離れた出来の良い妹の5人家族でした。
生い立ちはまた後々詳しい事を書きます。
今回は一度目の離婚について。
私は15で大阪に出てきて毎日仕事とテレビも無い家との往復に嫌気がさしていました。
その時に出会ったのが一人目の奥さん。
見た目は正直良いとは言えず、けど私の心の隙間を埋めてくれました。
私が16の時に同棲を始めてすぐに一人目の子供が出来ました。
その当時私は年齢を偽っておりました。
子供が産まれる前に年齢をカミングアウトし、無事出産。
義理の両親からは常に責められました。
けどやっと自分の家族が持てたと思い幸せだった記憶があります。
子供が産まれて私は少しでもお金の良い鉄骨専門のペンキ屋に転職しました。
お金は良かったですが、1年のほとんどを出張しないといけない仕事で、家族と離れて過ごすように…
ある時、約3ヶ月の出張を終えて群馬県から予定より早く帰ることになり、私は妻に内緒で帰ることに。
理由は、当時出張に行けば日当とは別に一日2,000円の食費がもらえており、それを使わず2ヶ月分貯めて大阪に帰った際に子供と妻にプレゼントを買うつもりでしたので、突然帰り次の日に買い物に行く!
そんな浅はかなサプライズを考えておりました。
出張先の群馬から大阪に着いたのは深夜2時ごろだったでしょうか?
当時の私の住まいは2階建の文化住宅で、2階に寝室。
1階にキッチンがあり、物音をたてないように鍵を開け部屋に入ると、私の食器と妻の食器が流し台においてありました…
あの時の頭の中が真っ白になる感じは忘れる事ができません…
2階の寝室に行くとわたしの妻と子供。
見知らぬ男性が寝ておりました。
この瞬間心が無くなるような気持ちになりました。
その後私は働かなくなり、犯罪を繰り返し、ある時警察のご厄介になり家庭裁判所に送られます。
私の両親に連絡が入ったのですが、わたしの両親は当然私を引き取るつもりは無かったので、そのまま少年院送致がほぼ確定というタイミングで、当時広島に住んでいた姉が20歳を迎え、私の保護者になれることがわかり私は広島の家庭裁判所に行くことになりました。
判決は保護観察。
そこから約1年。
毎日姉にお小遣い1万円をもらい、昼間に寝て夜は飲み歩くか姉の当時の彼氏だった、右翼の男性の車を無免許で乗り回してただ死に場所を探す毎日を過ごしました。
無事保護観察期間を終え、今度は妻の実家である島根県に引っ越す事になり、心を入れ替えて働こうと決心をしてフランス料理店で働き始めました。
ただ、元から上手くいってない義理の両親とトラブルを起こし、すぐにそんな生活も終わりを迎えます。
たまたま、働き先のフランス料理店が住み込みを許してくれて、妻と子供には休みの日に外で会う事が出来ましたのでお金はありませんがまた幸せな生活を取り戻すために必死で働きました。
そんな時、妻の2度目の浮気が発覚しました。
相手は高校の時の元カレ。
この時ばかりは私の話も聞いてもらえず、捨てられました。
妻は4歳年上で、私の子供っぽさに嫌気がさしたのだと思います。
これを機に私は約2年ぶりに大阪に帰ります。
当時19歳。
続きはまた後日。